1931年3月4日午後1時15分、パリで“支持体をスライドさせて完全に裏返すことができる時計”
の特許出願が行われた。1876年にスイスで生まれたセザール・ド・トレーは、イギリスを起点
として義歯の事業で財を成したのち1927年にスイスに戻り、ローザンヌにHermetica S.A.
(のちのSociété de Spécialitiés Horlogères)を設立して時計業界に参入した。
1920年にスイスの時計輸出の25%に過ぎなかった腕時計の割合は、
1930年には過半数を超えていたのであり、懐中時計から急速な腕時計へのシフトが進んでいたなか、
ド・トレーはモバードのエルメトやアトモスなどの販売を手掛けはじめた。
当時すでに100年近く時計のムーブメントなどを製造しつづけ、
複雑時計のグランド・メゾンといわれていたルクルト社のジャック=ダヴィッド・ルクルトと
知人になったのもこのころのことだ。ド・トレーは出張先のインドで出合った英国人将校から、
「腕時計のガラスがポロ競技中の衝撃に対して壊れやすい」という話を聞き、
これを解決して自分の販売コレクションに追加したいと思い至った。
スイスに戻った彼は早速この話を友人で協力関係にあったジャック=ダヴィッド・ルクルトにした。